佐賀SAGA
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田園のなか、縦横に張り巡らされたクリーク
九州の北西部に位置し、北は玄界灘、南は有明海に向けて開けた佐賀県。朝鮮半島に近いことから、古くは大陸文化の窓口でした。稲作の技術もいち早く伝えられ、唐津市には日本最古の水田跡である菜畑遺跡があります。
県内東部に広がる佐賀平野は、現在も日本有数の稲作地帯です。田園のなかを走っていく、リアライズトレーラーの姿を捉えました。田んぼの間を縦横に通っているのは「クリーク」と呼ばれる水路。農業用水を確保するほか、洪水時には雨水を貯めて水害を防ぐというはたらきもあります。県内のクリークの総延長は2,000kmにも及ぶといわれており、この土地独特の風景を生み出しています。
虹の松原へ駆けていくリアライズトレーラー
玄界灘に面する唐津市は、新鮮な海産物の宝庫。なかでも呼子港で水揚げされるイカの活き造りは有名で、全国にその名を轟かせています。リアライズトレーラーが渡っていくのは、そんな呼子町のシンボルである呼子大橋。呼子と加部島を結ぶ全長約728mの海上橋で、2本の柱からケーブルが伸びる姿は、まるでハープのような優美さです。
また、映像には同じく唐津市にある舞鶴橋も登場。唐津湾に注ぐ松浦川の河口に架けられた橋で、背景には唐津城の天守閣が聳えています。橋を渡った先は、全長約4.5km、幅約500mにわたってクロマツが群生する虹の松原。上空から捉えた、虹の弧のような海岸線にご注目ください。
大陸の文化を取り入れながら成立した唐津焼
佐賀県は、日本屈指の焼き物の産地でもあります。磁器の有田焼以上に長い歴史をもつのが、陶器の唐津焼。16世紀後半、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたのがはじまりと考えられており、その成立過程では朝鮮の技術も取り入れられています。唐津港から西日本へと広がっていき、茶道の世界でも愛されてきました。
唐津焼には、斑唐津や粉引、三島などさまざまな種類がありますが、撮影を行なったのは絵唐津の制作風景。日本で初めて絵付けを施したといわれる、唐津焼を代表する技法です。つくっているのは、唐津市に窯を構える若手の陶芸家・矢野直人氏。その作品は、一番館などのギャラリーで取り扱われています。